こんにちは、自然療法セラピストのシンジョウ🌺です。
日々、人の心と身体の深層に触れていると、病には“偶然”では説明できない背景があることに気づかされます。とくに「がん」という病には、ある種の“性格傾向”があることが、臨床でも心理学的にも語られてきました。
そして今、そのがん傾向と驚くほどよく似た構造が、「日本という国全体」にも静かに広がっているように感じています。今回は、人間のがん体質と、日本国(政府)の対外関係=国家的な「対人関係」を重ねることで、私たちがいま直面している深層的な危機を読み解いてみたいと思います。
「がん傾向」の人に見られる、共通する性格とは?
がんにかかる人すべてが同じ性格であるわけではありません。しかし、以下のような傾向がしばしば指摘されます。



- 感情(特に怒り)を抑圧する
- 常に「いい人」でいようとする
- 頼まれると断れない
- 孤独を抱えやすい
- 自分より他人を優先する
- 強い義務感に生き、自由を感じにくい
これらは一見、道徳的にも好ましい性格のように思えます。しかし、 「感情を表現できず、自分の本音を後回しにしてしまう」という構造が続くと、身体の中に“解放されないエネルギー”が蓄積されていきます。
これが長期化すると、がん化――つまり「自分自身の細胞が、自分という秩序を逸脱して、コントロールを失う」という状態に繋がることがあるとされています。
日本という国家の「がん傾向」
ここからが本題です。
私は近年の日本の外交スタンス、つまり日本という国の「対人関係のあり方」を見るたびに、人間のがん傾向と非常によく似た体質を感じます。
- 怒りや違和感をはっきり表明せず、「遺憾」として処理する(=怒りの抑圧)
- 対立を避け、表向きは“良い関係”を保とうとする(=NOが言えない)
- 外圧に流され、常に“期待に応える側”に回る(=他人軸)
- 自国の文化・価値を積極的に主張せず、控えめに譲歩する(=自己主張の欠如)



これらはまさに、 「がん傾向の人の対人関係スキルが、国家スケールで表出している」かのようです。
国民一人ひとりの気質と、国家の振る舞いは無関係ではありません。これは“日本という民族魂”が、長く選び続けてきた「調和優先の生き方」の反映であり、その光と影の“影”が、いま国家レベルで噴き出しているともいえるでしょう。
そしてこの状態は、がん体質と同様、 「自己境界のあいまいさ」「自分を守る力の低下」に繋がっていきます。
移民問題もまた、こうした“境界のゆるみ”の象徴として現れているのかもしれません。
今、日本で急速に進められている「移民政策」は、文化や価値観の異なる人々を、調和や準備もないまま、「日本人として」迎え入れようとする試みです。共通の言語、価値、歴史を築くプロセスを省略したまま“同化”を求めることは、結果として「日本人とは何か」というアイデンティティーを曖昧にし、国・県・地域という共同体の根幹を揺るがすリスクを孕んでいます。
それはまるで、自分自身の細胞が本来の秩序を失い、暴走し始める“がん化”のような現象です。 外からの刺激があまりに急激で、自らの内的な免疫・調整機能が追いつかなくなったとき、 身体は“自己の中に敵を抱え込む”ような状態に陥ります。
同じように、国家という身体もまた、自らの文化・価値観・共同体意識という免疫を失ったとき、 内側から秩序を崩す現象――がん化を引き起こすのではないでしょうか。
癒しの方向:民族としての“自己肯定”と“境界回復”
「がん傾向」から回復していく人たちには、共通したプロセスがあります。
- 自分の感情(特に怒りや悲しみ)を大切にする
- 「NO」を言っても大丈夫だと知る
- 誰かにとっての「良い人」ではなく、「自分にとって誠実な人」であろうとする
- そして、感じたことを“行動として表現する”こと。黙って耐えるのではなく、小さくても自分の意志を形にする勇気を持つことです
同じように、日本という国にも、 「自分という国を肯定する力」と、 「外との境界を健やかに保つ力」が、今まさに求められているのではないでしょうか。
それは排他的なナショナリズムではなく、 「自分の魂の声を取り戻し、自分らしくあることを恥じない」という民族の尊厳の話です。
輸血のように外から流れ込む文化、思想、経済の中で、 私たちはどこまで“日本”として在ることができるのか。
それを問い直すことは、がん化しつつある国家という身体に、再び生命を宿す行為だと私は感じています。
あなた自身が、そして私たちの国が、 「いい人でいること」と「生きていること」の違いに気づけるように。



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